読み物・産業

内子の木蝋 ― 芳我家と、輸出された「旭鶴」

江戸後期から明治にかけて内子を支えた木蝋産業。本芳我家・上芳我家の広がりと、いま残る製蝋の道具をたどる。

木蝋で栄えた町

八日市・護国地区の町並みは、江戸時代後期から明治時代にかけて、日本産のワックスである木蝋の生産で栄えた。いま残る町家の大きさは、この産業が生んだ富の記録でもある。

本家と分家

本芳我家は江戸後期から木蝋生産を始め、明治期には「旭鶴」の商標で海外にも製品を輸出した。本芳我家住宅は明治22年に建てられた豪商本芳我家の屋敷である。

本芳我家からは上芳我家を筆頭に分家や分家の分家が相次ぎ、13の分家が形成された。上芳我家は内子の木蝋生産の基礎を築き発展の中心となった芳我家の分家であり、文久元年に現在地に出店を構えた。一族が枝分かれしながら町全体に産業が広がっていったことになる。

残された生産の現場

木蝋資料館上芳我邸の主屋は、内子の製蝋業の最盛期であった明治27年に上棟された。邸内には、釜場、出店倉、物置などの木蝋生産施設が一体で残されている。屋敷と工場が切れ目なくつながっていた当時の姿を、そのまま歩いて見られる。

ここでは、重要有形民俗文化財に指定された「内子及び周辺地域の製蠟用具」1,444点の一部が展示されている。

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出典・参考資料

最終確認: 2026年8月